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【ゆっくり解説】戦後の混乱期、定員100人の船に350人が乗り込み転覆・・・真冬の海に放り出された人たち『せきれい丸沈没』【1945年】

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32 Comments

32 Comments

  1. けーけー

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    当時できなかった御霊の供養を、橋の建設をきっかけに慰霊碑建立という形でしっかりしようとした人々、尊敬します。

    • taka-s

      2021年5月7日 at 10:33 PM

      死者への敬意があるのは素晴らしいことだよね。
      この事件は私はとても船長責められないな。被害者しかいないように見える。

  2. 米田さとし

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    こんな不幸な時代が再来しないように、今後日本はこれまで蓄えてきた国富と諸外国との信頼関係を守り続けてゆかなければならないと思う。

  3. 真紅の稲妻

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    明石在住です播但汽船もうないですが台風でも最後まで動いてました播但汽船止まったらこれはよほどだと感じてました、今まで知らなかったことが恥ずかしいです、ご冥福をお祈り致します

  4. 桃ちゃん

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    せきれい丸に乗った人は家族に早く食料を届けたかったのでしょうね。船長さんがお気の毒です。

  5. 川原真也

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    戦時中の混乱の中、疎開の為に沖縄から鹿児島へ向かっていた【対馬丸】の遭難をリクエストします。航行中にアメリカ軍からの魚雷を受けて、乗船していた多数の児童や一般人が犠牲になってしまった事件です。アニメが配信されてますが、ホントに遭難シーンは悲惨で地獄絵そのものです。

  6. モブゴブリン

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    何がいけなかったのかを挙げるとキリが無いけど、特筆して誰が悪いって話じゃないのがまたやるせないなぁ…船長は責任感が強く懐深い方だったのだろうなと思います。

  7. ネモ船長

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    「船と運命を共にするのが船長の務め」と聞いた事がある。真相は分からないけど、責務を全うしようとしたんだろうなぁ…。

    碑文の文句に涙腺が緩む…。ご冥福をお祈りします。

  8. gohanda Panda

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    悲劇は悲劇なんだがなぁ。まずい事をやっている自覚があってその責任を取ろうとする船長はともかく、危険(少なくとも悪天候)を承知で自ら進んで過積載に加担する乗客。
    時代は悲劇を糧にすることでしか動かないのか。(;´・ω・)

  9. Tat Kaw

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    時代背景を考えると恐らく満足な防寒着も身につけてなかっただろうし、あっという間に低体温症になったのでしょう。
    家族に食糧を届けることも叶わず、本当に無念だっただろうに…。

  10. gonbe7

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    カルネアデスの板が、日本にも実在したのですね。
    船長は、出港を拒否するほどしっかりした人だったのだから、救助されても生きてはいられなかった気がします。

    • ささやんしろ

      2021年5月7日 at 10:33 PM

      お隣では乗客を放置して船長や乗組員が率先して逃げ出した。しかも乗客のふりをして。

  11. 次郎太郎

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    初めて知りました。
    明石海峡自体は4キロしかないのにこんなに多くの人が犠牲になるなんて…

  12. 古川豊善

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    こういう時の為に私みたいな坊主がいるんですね。南無大師遍照金剛。合掌。ご冥福をお祈り申し上げます。

  13. 蓮々

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    船長さん…可哀想だ。
    でもお客の心も分かるから出港。
    もし船長さんが救助されても罪悪感
    凄かったろうな…。

  14. 靈鷲心琴

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    明石海峡は常時海が荒れてるようなもんだし、流される時は一瞬なんだよなあ

  15. なかじまとも

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    命あっての物種…時代とはいえ船長が不憫

  16. 椎名レンヂ

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    関西以外の地方の方はご存知無いでしょうが、明石海峡は幅が狭い故に潮の流れが激しいのです。よってここを通る海外の船舶はいわゆる「パイロット」と呼ばれる入港等を船長に替わって行う専門の人を雇う事があります

  17. 田中浩一

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    私の祖母の叔父がこれに乗っており、帰らぬ人になりました。
    祖母の話では故人一人あたり500円ぐらい(記憶違いだったらすいません)の賠償金だったとかで、雀の涙程度のお金でしたが、殆どの人が声をあげなかったそうです。半分諦め(戦後すぐなので)があったのと、闇市に行く後ろめたさでそうなったと言っていました。

    • ささやんしろ

      2021年5月7日 at 10:33 PM

      言い方悪いですが当時の500円は大金だと思います。でもお金で亡くなった命は買えませんが。

  18. みかん

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    あの海域は潮の流れが早く複雑なので遭難が頻発していたと思う。
    亡くなった人達を尊ぶ気持ち、見習わないといけないなぁ…

  19. 小川寛之

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    戦後国鉄5大事故の紫雲丸沈没事故はWikipediaで知っていましたが、戦後間もない混乱期にこのような事故があったのですね。船長は事故を起こした責任を取って、沈みゆく船と運命を共にしたのかもしれませんね。

  20. 小野浩志

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    船長と高校生から離れた人に潔さを感じた(´;ω;`)

  21. 雪【公式】

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    兵庫県民ですが知りませんでした、、、
    いつもそうですが、今の世の中は先人の犠牲の上に成り立っていることも少なくないんですね。風化させまいと動画にしてくださり、ありがとうございます。

  22. SIRIUS

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    昔の人は責任感が強かったのを強く感じます。あと現在だったら高校生の板切れに、「2人無理」と言われても「そんなモン知るか!お前が落ちろ」とか言いそう(笑)

  23. 紅音

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    7:31 今日の「おっけーおっけー」

  24. 加藤岳人

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    あの戦争をせっかく何とか生き延びた人々が、物凄く簡単に死んでいったのが戦後数年の混乱期。
    関東では八高線事故が代表的ですね。

  25. 紅音

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    船長…(´;ω;`)
    人災とか利益重視の人命軽視の事故じゃないのがやりきれないですね…

  26. おぐら

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    サムネの時点で死を覚悟した。
    ほんまに毎度、生還のハードルが高すぎるわ

  27. enforcerエンフォーサー

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    なんか凄い切ない話ですね、戦後の混乱期でお腹空かせてる家族のため早く家路を急いだ結果このような事故になってしまって…

  28. miracleハマー

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    フラグ立ちまくりだ。
    乗客の気持ちも分からいではない。
    船長の気持ちも分からいではない。
    全ての状況がマイナスへ行ってしまった・・・。
    辛いなぁ、切ないなぁ・・・。
    せめて乗客を分散するとか出来やんかったんかな・・・(´;ω;`)

  29. 墨汁ハムスター

    2021年5月7日 at 10:33 PM

    船長はとても責任感のある人だったのでしょうね。

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