物語の悪役の良し悪しは最期で決まる?悪役について少しよく考えてみた

悪役

白雪姫は原作だと白雪姫自ら魔女である母を焼けた鉄板の上で踊らせて焼き殺すからな、ディズニーは子供向けに大分マイルドにして、白雪姫に手を下させないことでその無垢さを保証した。 悪役に対する処分は主人公側の性格付けにもなるよね。
鶴見中尉は本当に悪か?と思うのよな。危険な男なのは間違いないけど、一方で味方に対しては失敗しても寛大な態度をとっている。(裏切者には厳しいがそれはまぁ当たり前だろう) 基本的に鶴見中尉の部下ははみ出しものばかり(江渡貝くぅんやヤク中なんかは筆頭)だから、そいつらの居場所になっていることを考えると、鶴見中尉が悪党とは思えないのよな。
個人的に、主人公以外の人物に倒されるラスボスというのが好みです。無冠の傑作SF「イレブンソウル」のラスボスは最後、主人公ではなく親友に引導を渡されるのですが、その親友の台詞と表情が大好きなのです。主人公とのラストバトル自体も最高です。
るろ剣で最期が印象的な悪役というと刃衛もだよね。ある意味で志々雄同様に剣心に打ち勝った男でもある。 「抜刀斎」を評価し最期は自刃するという点は本編もキネマ版も変わらないが、全力の剣心を称賛しつつ逝った本編と、生も死も不殺のお前にはくれてはやらんと最期に意地を見せたキネマ版、おれはどちらも好き。
「イアーゴーは狡猾極まりない完璧な悪党なのに、なぜ、あのハンカチの稚拙なミスをしたのか。シェイクスピアもイアーゴーを破滅させる手段に困ったのだろう」みたいなことを、アガサ・クリスティが某作でエルキュール・ポアロに語らせてましたな
悪役の顛末として殺さないを選んだ例としてハオは特筆に値する存在だと思う。作品全体で(というか多分仏ゾーンの頃から)罪人に救いはあるべきか?というテーマを描いてて、途中迷走gdgdしたものの、1000年続いた憎悪に決着をつけた点からして。 なお続編で死体蹴りされてる模様。キャラが俗っぽくなるのはこの作者の味だから仕方ないとしても。
ヨブトリューニヒトだね。 作中の人物も、視聴者も、初登場時から死後まで最低最悪の悪役だと信じて疑わなかったが、物語の最後で彼が主人公が最後にたどり着いた結論を、いち早く実践していたことがわかる。 主要人物に嫌われなからも、市民に支持され続けた彼は、ヤンウェンリーの言葉「最低の民主主義でも最高の専制政治に勝る」を証明したんだよ。

戸愚呂兄が出てて良かった。最初から最期まで最低のキャラクター性を貫き、弟にすら切り捨てられるという憎んでもらうべく生み出された存在。驚異の再生能力に加えて再登場すら果たすしつこさも待ち合わせるが故に退場時のスッキリ感はハンパ無い。退場に際しては戸愚呂弟の一種の高潔さを、蔵馬の怖さと残忍さを対比により描写した名悪役だ。
これで鶴見中尉がのうのうと生き延びて、子や孫やひ孫に囲まれて安らかな最期を迎えたりしたらどうしようw
善人が非業の死を遂げる一方で、悪党がのうのうと生き延びて天寿をまっとうする、「天道、是か非か」…が司馬遷に「史記」を書かせたきっかけの一つかもと思うと、「悪役の最後」が注目されるのは、数千年前から変わらないのですなぁ…
ヘルシングは少佐も好きだが個人的にはマクスウェルがいいんだよなあ。小物ゆえの動機にちょっと共感しちゃうけどまあこうなっちゃうよな…ていう残当な死でなんとなくもの悲しい気持ちになる。
「go!プリンセスプリキュア」が評価されていて嬉しい。悪役の描き方も上手いが、悪役の言葉に打ちひしがれながら、主人公の考えが徐々に変わっていくのも面白かった。正義と悪が鬩ぎ合う素晴らしい作品。
ラスボスじゃなく前座ボスだけど、ARMSのキース・ホワイトの最期は好きだったな。 生涯二度だけバカ笑い。一度目は研究に人の心を重視した同僚の滑稽さに対する嘲笑、二度目は今際の際にその同僚の方が正しかったことを思い知らされた自分の滑稽さに対する自嘲。 潔さと惨めさが見事なバランスの最期だった。
個人的に救いのある最後を迎えた敵役で印象に残ってるのは『刻刻』の佐河ですね。極悪人というより「目的のために手段を選ばないしそのために犠牲がどれだけ出ても構わない」という感じですが(その目的も「人を超越した存在になり世界の行く末を見たい」というもの)迎えた結末を見るともともと「きちんと自分を愛してくれる母親が欲しい」だったのかも。
悪役にふさわしい末路と言えば、「ワイルド7」のエピソード『首にロープ』の黒幕(ネタバレになるので名は伏せる)が忘れられない。何故か草波隊長が黒幕の始末を許可せず、わざと生かして突きつけた「お前のやったことは最初から全部無駄」という現実、あの展開は心の底からシビレた。
好きな悪役というとやっぱり銃夢のディスティノヴァ教授が好きかな…知の探究のため非道な人体実験を繰り返し、主人公を夢の檻に閉じ込め勝利を確信しつつも、その中で情に溺れ、これまでそんな殊勝なキャラじゃなかったのに感傷的なセリフを吐き、最終的に知性を手放し、ガリィを幸せにした敵役…。続編? 知らない子ですね…
モリアーティという人物は、今現在で言うなら、ダークヒーローとして、憂国のモリアーティ(漫画、アニメ作品)で、貴族などを葬り去るクライムコンサルタントとして描写されている。今現在の超格差社会が、古くからイギリスにあったこと。特権階級だけが優遇される社会に一矢報いる。そんな気概があり、私は大好きな作品。客観的に悪でもって悪を絶つという形式は、日本では必殺シリーズが代表であるし、古くから人気の土台も有るよね。
主人公から見れば悪だが悪役視点でいえば主人公が悪になるようなバランスの作品も好きとはいえ悪役としての魅力とは違うものになるな。キュゥべえとかとんでもなく邪悪な存在として当時は話題になったけど、悪意なく価値観や文化の違いとしか言いようがなくて悪役と当てはめるにはちょっと違うんかな。
のうのうと生き延びた悪役とえいば『BOF4』のユンナ。逆に徹頭徹尾歪んだ理想と善意で行動していたがその過程で踏みにじってきたレイに夢を殺され、ヴァンには思想を否定され、最後に自らの命も奪われるという三つの死を与えられた『ガン×ソード』のカギ爪の男
悪役とはちょっとニュアンスが違うかもですが、主人公やヒロインが実はラスボス(またはラスボス的存在や何かの元凶)という作品も数多ありますけれど、そういう作品を読んだり観たりプレイしたりすると、敵方視点、またはその世界の一般人や第三者視点の話を(マルチサイトや回想ではなく)"一から"読みたくなるなぁ、と昔からよく思ってましたが、最近よく見かけるゲーム的世界の悪役令嬢モノやモブ登場人物モノってそれの一種なんだなぁと今になって気づいた次第
ブラッドレイも裏でしてた事が真っ黒なんだけど魅力的だったね。なごやかな一面からは一転して人間と変わらないのに無双して味方サイドを追い詰めたり。味方の誰かが欠けてたら倒せないような集団戦闘の描写に死の間際に妻だけは自分の意思で選んだって語りもあって、鋼の錬金術師の物語は終わるんだなあ…って思えた。その後にも万物の頂点みたいなラスボスいたけどね。ハガレン最終回のガンガンはすぐに本誌が売り切れたのも覚えてる
スターウォーズ最終三部作は「王道外しに終始して盛り上がりに欠けた7, 8」を一転して「SWらしさを捨てて凡庸な流れで『1つの映画』として完結させた9」の流れだから仕方ないんよね……。話も戦力もまとまらないままバラバラになったところで9で突然なにもかもがポッと出で揃えられたから……
マキマさんはまだ途中だから良く判らないんだよな…、悪役を悪として断じて語る場合、その作品が終わってなければ語れないことを思うと、その作品の悪役の末路こそが起承転結の結であり、作品の真の主役ともいえる気がする。
銀河旋風ブライガーのカーメン・カーメンはそういう意味では型破りかな 最終的にほぼ目的を達成した上で本人は満足しつつ己の神の元へ召され、バクシンガーではその教団がなおも一大勢力を誇って存在し、サスライガーでは「今の太陽系を作り上げた偉人」として歴史上の伝説的な人物になってる
ガンダムSEEDのラウ・ル・クルーゼも印象的だなー。世界を憎むとか言っておきながら、まるで博打みたいな手しか打たないし、でも状況が極まってくると嬉々として本性曝け出してくるし。かと言って最期の瞬間微笑んでいたのはジェネシスが発射されたと思って勝ちを確信したためか、結末を見届けられなくてあーあと思ったのか、でもそれならあの安堵したように吐いた長い息はなんなのか…本当は何を思っていたのか、未だに考える悪役。
個人的に徹底的にクズ行為しまくってる悪役が殺される時に「即死する」というのは全然スッキリしなくて嫌いだな。ブラックエンジェルズの序盤の悪役がそれだけど。
ゲーム史だとやっぱりデスピサロが大きいかなあ。それ以前にも単純な悪とは言えないラスボスはいたけれど、(当初の)主人公と動機が同じになったり直接説明せずに上手く魅せたと思う。それを超有名タイトルでやったものだからファンクラブのハガキは大論争だったしフォロワーもいっぱい出た
野望の王国は、天星の裏切りからのラスボス化は取ってつけたような感が酷いんだが、あれがないと兄貴VS柿崎とその間をチョロチョロする主人公&相棒の図式が崩れないから、主人公の存在意義が薄いまんまなんだよな。 兄貴と柿崎を退場させて、更に天星編で主人公に相棒の喪失を超えさせるという下駄を履かせまくって、なんとか主人公が主人公らしく物語に幕を引くというラストを演出できたわけだし。
コードギアスのルルーシュも主人公でありながら出来の良い悪役に類別されるのかなとも思ったり。もっともあの作品、ラスボスを先に倒してしまったがために自らがラスボスとなる以外に事態を収拾する方法がなかったとも言えるので、また違う評価になるかのしらんが。
新桃太郎伝説のカルラだなぁ。桃太郎伝説シリーズ通して本当の悪人が出ない物語なんだけど、唯一新桃だけは、膨大に人が死ぬ。それも人が死ぬ理由を作ってるのが全てカルラで、出世欲の為だけに、虚偽に裏切り何でも使って殺しまくる。最後は地球のほとんどの大陸を沈めて殺して、月でさらなる大虐殺を行おうとしてたとこで、ラストバトル。シリーズ通して敵を倒した時のメッセージは「改心させた(反省させて心を入れ替えさせた)」なんだけど、カルラのみ「倒した(とどめを刺してる)」ってメッセージが出るんだわ
キルラキルのカバーズと羅暁は、クロノトリガーのラヴォスをオマージュしとるけど明確に違う点があるんだよなぁ。 ラヴォスはその星に住みつきながら引きこもり、他の生物の遺伝子を喰って成長しきったら星をぶち壊して出ていく質の悪いニート。カバーズは、その星の生物に進化を促してから喰らい尽くすから酪農家みたいなもん。
特異な悪役としては、ヴィンランド・サガのアシェラッドを挙げたい。導入部分では完全に悪役で、自身の行動と理念は最期までブレてないし、トルフィンも最期までアシェラッドを自分の手で殺すことを第一に考えていたけど、悪役としての生き様の意味はトルフィンや読者の中で変わっていくんだよな。トルフィンが修羅道と完全に決別する決意に対して大きな役割を負ってる。あの作品の中では、悪は単なる有り様でしか無い。
『賢い犬リリエンタール』の『組織』のラスボスである当代首領ですね。「志を持った野心家が、スタート地点に立って、これからやるべきことがたくさんあるというのに、実は時間はもうないことが分かった。こんなのってありか?」「だが、とある超常の外法でそれを覆しうるとしたら?」「究極の選択を前に、本当に黙って指くわえて見ていられるか?」という、実は夢を胸に頑張って来た人であればあるほど最後に陥る罠の話であり、たいへん身につまされる思いでした。
まとめにある色んな悪の結末「和解(未来人カオス)」「救済(ボンバ!)」「ナルシストが醜くなる(アラバスター)」「合体技で倒される(アトム)」「孤独(人間昆虫記)」「転落(ナスビ女王)」「道連れ(トリトン)」「自滅(ブッダ)」「権威の失墜(きりひと)」「発狂(奇子)」「生存(MW)」「生死不明(バンパイヤ)」「過去に戻り存在自体を消される(プライムローズ)」大体手塚治虫も描いてる気がする
HELLSINGはアーカードが主人公で少佐は悪役なのだけど 『人間としての矜持』vs『矜持を持てずに人間を捨てて化物になった者』 の側面もあるので 簡単に寝返ったグールは勿論、人間でも堕ちた人間は死ぬし、 化物に成ってしまったアーカードも、アンデルセンも『斃されねばならぬ者』として死ぬ。 一方で、作中全ての元凶でありながら、最期まで化物であることを拒み『人間であろうとした』少佐は、同じく人間や人間であろうとしたインテグラとセラスに斃される。 斃されるべき悪役とは何かを考えさせられる作品だと思う
ここは3作全てで結末の違った大帝ズォーダーにも触れて欲しいが。実は明瞭な形で最期が描かれていない(テレサと共にヤマトが永遠の航海に旅立って終了)さらば、都市帝国という傲慢の仮面を剥ぎ取られ戦艦パラドクスという虚栄も結局テレサの前にはどうにもならずに惨めにゴミクズのように死んだ2、複雑な闇を抱えたまま孤独な老人としてのみ死んでいった2202とあって、ここ(ズォーダーの死)だけは2202の比較的良かったところなんだよなぁという
探偵・古戸ヱリカが好き。頭が良いということがこんなにも人をイラつかせるんだっていうね…。六軒島に途中入出してくる異端者って立ち位置も良かったのかも。新参者がやりたい放題やる厭らしさがすごかった。ベルンカステル様にゴミのように捨てられる扱いも最高ですね。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


スポンサーリンク




おすすめ記事

登録されている記事はございません。

ピックアップ記事

記事の編集ページから「ピックアップ記事」を選択してください。

スポンサーリンク




ページ上部へ戻る